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ミツマタのある家

 朝の散歩の第四コーナーに、ちょっと変わった可憐な花のある家がある。師走の初めに見つけた。何という木なのだろう、と気になっていたが、その家のご主人がたきびをしていたので伺ってみた。これは「ミツマタ」と言います、名前のいわれは見ればわかるでしょう、とのこと。なるほど、葉のないツルツルの細い枝先は三つに分かれていて、枝先に花なのか蕾なのか芽なのかわからないが、ふっくらとビロードのようなふくらみ。色はライトグレー、よくみるとほんのり淡い草色。ほんの少しずつ膨らみを増しているようだ。
 その名を聞いて懐かしい記憶が甦っていた。まだ小学校に入ったか入らないかの頃のことである。昭和20年代の終わり、茨城県でも電気が通じていなかった2、3地域の一つ、奥久慈男体山の南側の高地「北富田」(きたとみだ)に住んでいた。標高4、500メートルはあるだろうか、その山のてっぺんに複式学級7、80人のほんとに小さな小学校があり、父がその校長だった。ふもとの水郡線西金の中学教頭からの栄転というのだろうか、湯澤温泉から細い山道を長時間歩いて登った記憶がまず甦ります。温泉を右に折れて初めてのちょっと急な上りに差し掛かると、左手に明るい陽射しを浴びた段段畑と切り立つ断崖が印象的です。古分屋敷と男体山だとわかったのはつい最近だった。やがて四十七曲がりと言われていた鬱蒼とした杉木立の暗い山道がいつまでも続く。息が切れて苦しくなった頃急に視界が開けるとそこはもう山のてっぺん、斜面にぽつぽつと民家がへばりつき中心部に小さな古い校舎があった。
いろんな思い出が詰まっています。学校のすぐ裏に、確かPTAの会長さんをされていた方の家があり大きな池と枇杷の木があった。たわわに実った黄色い枇杷を飽きるほど食べた記憶、毎日夕暮れになるとランプのほや磨きが日課、校庭にあったゆうどう円木遊びが面白くてちょっと帰るのが遅れると、「早くホヤ磨いて!」と祖母に叱られた記憶、ゆうどう円木を漕ぎながら遠くの山肌に一つ、二つ、と増えてくる灯かりがたまらなく好きだった。ランプの暮しは、やがて父と青年団の仲間たちで、小川を堰きとめ自家発電設備を作りだし電気が灯った。 そうそう、そのPTA会長さんは、お仕事が砕石か何かであったようで、父の次の転勤の時、僕に金銀瑪瑙水晶など12種類の宝石が詰まった箱をプレゼントしてくれた。僕はその箱を宝物にしていたが、二十歳過ぎてからの何度かの引越しで申し訳ないことに紛失してしまった。山方町のある方が数年前に著した本に「地質学的に奥久慈は宝石の山。宝石の上に住んでいる幸せを我々奥久慈人は思わねば」とふるさとの素晴らしさを書いていた。無くしても思い出だけは一生の宝にしよう。
 付近はいわゆる雑木山、広葉樹。栗拾い、銀杏採り、きのことり、放課後の里山遊びに事欠かなかった。2、3人の友達と毎日山肌を歩き回ったが、カラスのたまご取りや、山奥の古井戸探検の記憶はおぼろげながらスリルなそれにつながっている。 鮮烈な記憶は学校のある所から大分山奥に入った場所での光景。見晴らしの良い高台に僕らはいる。10人は楽にいられるスペースのちょっと公園風な場所から、絶壁を挟んで向こうの山の斜面中腹に何と太陽が出ているではないか。 種を明かすと、斜面中腹にかなり大きな水晶か何か鉱石が剥き出していて、太陽が反射している、そういうことのようだが、この世のものと思えない幻想的な光景だった。
 ある晩の、にぎやかで湯気がモウモウ立ち上る民家の記憶が「みつまた」に繋がる。友達に誘われたのか、僕は、山を下ったある大きな家の黒光りする大広間にいる。子供たちも勿論いるが大人たちがせわしなく動き回っている。煙の中からドサッと茹で上がった束が運ばれてきた。さー、剥いて、と威勢の良い掛け声がかかる。火傷しそうに熱くて思うように剥けない。やがて、子供たちの前にも一人ずつお膳が運ばれてきた。左右の友と顔を見合わせて喜び合った。戦後間もない食べ物のあまりない時代である。真っ白いご飯、何種類ものおかず、腹一杯美味しいものが食べられる幸せ感が脳裏に残っている。
 ご賢察の通り、奥久慈の自然と水戸黄門様が生み出した西の内和紙の真冬の楮皮剥きにまつわる記憶です。西の内和紙は茨城が誇る世界的にも有名な無形文化財、丈夫な和紙の原料は楮100%と聞いている。
 「みつまた」の新芽で思い起こした記憶とのギャップを埋めるため、「紙のさと」の御主人にお電話を差し上げた。「あなたの子供の頃はみつまたも使ったことはありますから皮剥きの夜、その名前も記憶にあって当然でしょう」。安心した。それよりもそのお電話で、思いがけないお話が聞けた。
 「今、日本では己の保身と金もうけに現を抜かした天罰が下っていますね、我が西の内和紙もやろうとおもえば外国の安い原料を買って儲け主義に走ることもできないことはない。でも絶対にやりません。利は薄くても本物の伝統を守り抜く気骨と情熱が評価につながると信じてますから。金よりも心です」。世紀末の我が国を襲った政治経済社会全般の混迷を解くカギが隠されているような老主人の言葉に何か心洗われる感銘を受けた。

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川又 慎
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